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サイパン島内観光!戦争の悲劇を感じる北部の歴史スポット

美しい海と空、自然一杯なサイパンの島。日本から一番近い常夏リゾートとして、バブル時代にはとっても人気だったスポットです。観光地としてのイメージが強い場所ですが、実際にでかけてみると、島のあちこちに太平洋戦争中の過酷な日本軍や一般の人々の闘いや生活を思い知らされるスポットが。

(参考記事:直行便復活!サイパン観光に便利な立地のいいホテル8選

今回はリゾートホテルなどがたくさん立ち並ぶ島の繁華街エリア「ガラパン地区」から車で30分ほどで出かけられるサイパン島の北側に位置する歴史関連スポットをご紹介します。

1.バンザイ・クリフ(BANZAI Criff)

天皇皇后両陛下も慰霊に訪れた悲しみの地

ここは戦後七十年という節目の年でもあった平成17年に天皇皇后両陛下も訪れている場所です。場所はサイパンの島の一番北側の「プンタン・サバネタ(Puntan Sabaneta)」。フィリピン海に面した遮るものが何もないすごく突き抜けた雰囲気のスポットです。
この岬では、アメリカ軍に追いこまれた、日本軍や民間の人々が「天皇陛下万歳」と叫びながら飛び降りたと言われていて、「バンザイクリフ」という名前の由来にもなったという場所。恥ずかしながら、あまり歴史に関しての知識が乏しかった私は、平成17年の天皇皇后両陛下がここに深々と黙礼されている様子をテレビのニュースでみて、はじめてその悲しいお話をしることになったという始末。いつかは、日本人として、私もこの地に訪れてみたいなと思うきっかけにもなった出来事でした。

美しい断崖の風景。見学は自由にできます。

特に受付などはなく、誰でも自由に見学をすることができます。たくさんの慰霊碑やお墓があって、ひとつひとつに手を合わせてきました。「お疲れさまでした」の気持ちで切なくなる瞬間です。

岬からの景色は、慰霊碑とかなければそんな悲しい場所だなんてわからないくらい素晴らしい眺めでした。でも「この海の先に日本がある」と思って、飛び込んでいった人たちのことを思うと胸がつぶされるような思いがしました。

2.旧日本軍最後の司令部(Last Command Post)

駐車場のすぐ目の前に朽ち果てた戦車が。続いてご紹介するのは、サイパン島における旧日本軍の最後の司令部があったという「バナデロ(Banaderi)」という場所です。マッピ山の麓にあり、グロッドとかに向かう道の途中からもこの様子を車に乗りながら見ることができると思います。ここも自由に見学できるので、ぜひ立ち寄ってみてください。

錆びついた戦車や砲台、魚雷なども展示

駐車場から司令部があった洞窟みたいな場所へ向かう途中、旧日本軍の使っていた砲台や魚雷なども展示されています。すっかり錆びれてしまっていますが、戦争の恐ろしさを感じ取ることができます。

洞窟状の窪みにある最後の司令部(LAST COMMAND POST)

最後の司令部があったのは、この階段を上った洞窟みたいなところ。トーチカという防御陣地があの洞窟の割れ目みたいな場所に作られていました。階段を上った先に、大人がかがんだ状態でやっと一人入れるくらいの秘密の入口があって、中へ入ることができます。

最後の司令部の陣地のなかには、砲弾の跡も!

連れて行ってくださった現地ガイドの方が、「ここで寝泊まりして、また外へ闘いに出かけていたんだ」とつぶやいたのが印象的でした。とても広いとは言えない司令部の内部。居心地だって悪かったことでしょう。ところどころに空いている小さな穴が、私、はじめ「敵の様子を観察するようののぞき穴かな?」くらいに思ったのですが、なんとあれ、銃弾が貫通した跡なのだそうです。びっくり。怖かっただろうね。

その左側にある大きさ2mくらいの大きめの穴も「裏出口かな?」と思ったら、「アメリカ軍の砲弾が直撃した場所だ」と言われて、自分の想像を超える激戦の傷跡にとても心が痛みました。

銃弾が突き刺さったままの壁も。こんな場所で最後まで戦っていたのかと思うと、苦しくなりますね…。戦争って、頭ではわかっていても、ピンときていない部分が多すぎることを、いろいろな角度から痛感させられる瞬間となりました。

陸軍や海軍の中尉も、ここで自決を遂げたと言われています。壮絶なできごとを感じ取れるスポットでした。

サイパンとアメリカ、日本の国旗がはためく平和な今

司令部の陣地のなかを奥側の出口から抜けていくと左側に大きな木が見えました。これは「サイパンの国の木」なんですって。4月中旬ごろ(もうすぐだね!)になると赤い花を咲かせるそうですよ。そして、その奥に揺れる3つの旗は、サイパン、アメリカ、日本の国旗。

悲しい土地ですが、戦争が終わって、長い時間が経過して、こうして平和で静かな時間が流れている。とても不思議な感じがしました。

スーサイドクリフと日本の政府が建てた慰霊碑

ぐるっと司令部の陣地の内部を周って、最後駐車場のほうへ戻ってくると日本政府が建立したという大きな慰霊碑があります。千羽鶴がたくさん置いてありました。

そして、この慰霊碑の後ろに佇む鋭い崖。これがスーサイド(=自殺という意味)クリフです。多くの方が、この場所で命を落とされたのかと思うと、本当に無念な気持ちでいっぱいになります。正しいとか、わるいとか、きれいごとばかりで片付けられないのが「戦争」という悲劇なのかもしれませんね。

3.スーサイドクリフ(Suiside Criff)

最後にご紹介するのは「スーサイドクリフ」というマッピ山の山頂にある「ラデラン・バナデロ(Laderan Banadero)」です。ここもバンザイクリフと同様、多くの日本軍や民間人が身を投げたことから名づけられた悲劇のスポットです。

スーサイドクリフの上は慰霊のための公園に

崖の下を見下ろすと、先ほどの最後の司令部や、遠くにはバンザイクリフなどが。何もなければ、とてもいい景色なので、展望スポットとかになっていたのかもしれませんが、この場所は慰霊のための公園になっています。

慰霊碑やお墓が、こちらにもたくさんあって、ひとつひとつに手を合わせてきました。その中には、女学校の生徒や教職員のお墓も。「そんな若い女性たちもこの島にいたんだ…」と、びっくりしました。民間人って、一言で片づけてしまってはこれもちょっと理解しきれない部分があったのだなと思います。いろんな思いがこみあげてくる公園でした。

十字架と観音様のめずらしい慰霊碑

「サイパンの人たちは、ほとんどキリスト今日だからさ。めずらしいでしょ。」といって、ガイドが教えてくれたのが、この十字架と観音様が一緒になっている慰霊碑。たしかにめずらしい。こんなの初めてみました!

サイパンの高台から、今も悲劇の地を見つめ続けているのですね。ここも自由に見学できるスポットなのですが、何があったのか説明が書かれているボードは朽ち果て、周りはいたずら書きが目立っていたのが気になりました。心無い観光客によるものです。

どういうことが起こったのか、日本人としてしっかり歴史に向き合う機会を持てる場所ですし、ほかの国の人にもいいこともわるいことも含めて、繰り返してはいけない悲劇の歴史を知ってほしいので、なんとか、税金をかけてでもきちんと整備してほしいな~!と思いました。

ガラパン地区から車で約30分
サイパン北側にある歴史スポット

サイパンの北部にある戦争の傷跡を感じさせられる悲しいスポットを3つご紹介しました。観光地として栄えるガラパン地区から車で30分ほどででかけられるスポットです。

「海入る以外やることないよー!」なんておっしゃらないで、ぜひ一度は行ってみてほしいなと思った場所ばかり。街中にはないジャングルみたいな自然あふれる絶景と歴史秘話のコントラスト、重たいには重たいですが、歴史と向き合うべき時間を観光の合間にほんのちょっとつくってみてはいかがでしょうか?

個人的には歴史の勉強に関して、一番大切なのは、この戦争あたりからの近現代における歴史ではないかと思っています。もちろん、受験勉強をする上では、縄文時代にどんな石器があったとか、戦国武将の名前や功績も大事だとは思うのですが、「歴史は繰り返す」の”歴史”って、そこじゃない。学んでおくべきは、戦争の悲劇とか今の時代のもっと礎に近い部分の人々の功績やお金の流れだと思うんだよね…。ま、いいや。その話はまた今度!

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