熊本城は街の中心にあるので、市内の至る場所からこんな景色に出会えます。かっこいいですよね。
私は、この日、お昼ごはんどこで食べようかなぁとフラフラ歩いていました。そしたら“小泉八雲旧居はこっち”の看板を発見。五高に勤めていた時代があったのは知っていましたが、おうちが残っているなんて!
というわけで、お昼ごはんの予定を変更してわくわくしながら足を運んでみることにしました。
ギリシア生まれの新聞記者!怪談の作者・小泉八雲先生はこんな人
お恥ずかしながら、私、そんなに小泉八雲先生のことを知らずにこの地に来ることになってしまいまして…。市内のど真ん中にあったので、ググる間もなくスグ到着。
中に入ると、ほかにお客さんもなく、ガイドのオジサンを独占状態です。
小泉八雲先生の出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)といって、生まれはギリシアなんだそうですよ。私はてっきりイギリスの方かとばかり思っていました。小泉先生が、日本へやってきたのは、1890年(明治23年)のこと。アメリカの出版社の通信員として来日したというのも、今更ながら初めて知りました。
日本に来てから、アメリカの出版社との契約を破棄して、英語の先生となり、松江からこの熊本の地にやってきたんですって。1891年(明治24年)からの三年間を熊本で暮らしていたんだそう。この家は、最初の1年を過ごした住居。
第五高等中学校で英語を教えていらしたそうで、ガイドのおじさんが「あの五高です!」と力強く熱弁されていたのが印象的でした。小泉八雲先生は、家にわざわざ神棚をつくって、毎朝、拍手を打って礼拝されていたというエピソードも。本当に日本の文化を大切にされていらしたんですね。
その後、神戸市のジャパンクロニクル社に就職し、東京帝国大学文科大学の英文学講師になったあと、日本に帰化して「小泉八雲」と名乗るように。
「左目が悪かったから、いつも写真はこの向きなんですよ」とガイドのおじさんが教えてくれました。なるほど、確かに顔の右側をむいている写真が多いですよね。思いがけず立ち寄った小泉八雲熊本旧居でいろんなことを知ることになりました。ついでにおじさん「見てみて!」と1枚の写真を…。小泉八雲先生のなにか貴重な写真家と思いきや、俳優の長谷川博己さんと撮ってもらったというツーショットでした。「あ、ハセヒロも来たんですか(笑)」
こんな感じのすごく気さくなガイドのおじさんのおかげで、思いがけず、小泉八雲先生に関して、めちゃめちゃ詳しくなったのでした。
小泉八雲熊本旧居はお庭も素敵です!
入口の玄関から眺める景色も、熊本市内の喧騒がウソのような静けさを感じる落ち着いた光景なんですけれども、お庭のなかの手入れの行き届いた緑もすごくキレイでした。
元駐日大使の記念樹・百日紅や…
ギリシアのレフカダ町長の記念樹・肥後椿…
雨上がりにしっとり和むお庭をぶらぶら散策して、ガイドのオジサンにお礼を告げて失礼することに。
改めて読みたい小泉八雲の『怪談』
私もけっこうあちこち出向くほうなので、目が回りそうだーなんて日々つぶやいていましたが、ギリシアで生まれてインド、パリ、アメリカ、日本と点々とフットワーク軽く生きた小泉八雲先生の生き方を知ったら、もっともっと作品をじっくり読んでみたいなと思いました。人生の後半を日本で過ごしていた彼の目には、この国の文化がどういう風に映っていたのか、もっともっと知りたくなりました。
怪談―小泉八雲怪奇短編集 (偕成社文庫)
そういえば、私、日本昔話でくらいしか読んだことがないし。「耳なし芳一」や「雪女」も。小泉八雲先生がまとめた怪談話、この機会にゆっくり読んでみよーっと。
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