濃厚なはちみつたっぷりなカフェラテとともに読みたくなる宮部みゆき先生の小説『悲嘆の門』の感想をご紹介します。濃厚な社会派小説です。あ、でもジャンルはSFになるのかな?
もくじ
ドキドキが最後まで止まらない。リアルな社会派サスペンス
ちなみに私は、中学生の時から宮部先生の作品だーいすきで、ほぼ全部読みつくしているほどの宮部ファン。読み終わったあとに涙を流しながら、大切な人の人生の幸せを切に願う主人公に胸を打たれた『蒲生邸事件』とか、占有やクレジットカード破産の闇に混沌とする『火車』、家族や親せきという日本独特な閉塞感を描いた『小暮写真館』など、映画やドラマ化もされている有名な作品や映像化なんてできないだろうなー!というスケールの話など、本当に幅広いジャンルがいっぱいですよね。
もう作品数が多すぎて、どれが好きとか選べないくらいですが、この本は読み終わった後にゾクゾクっとする怖さが漂うまた独特な印象の一冊でした。
ありそう…な怖さと危うさ!SNSとの向き合い方
バーチャルな世界っていうと、SFでしょ!っていうイメージを持つかもしれませんが、実は現代社会そのものが、実世界とネットの世界の2面性を持っていたりしますよね。自分が今、生きているなかで見ている世界が、けっこう危ういものなんだなということを、いろいろ考えさせられた作品でもありました。ユーチューバーという、ちょっと前までなかった新しい職業に子供たちの熱い視線が集まっている中、実は大人たちもまだSNSの使い方に世界中が振り回されているし。
でも根本的な問題は、もっと根底の倫理観にあるということを突き付けられるようなシーンが多くて、この物語のなかに女性の遺体を動画で撮影してネットに配信しちゃう中学生がいるのですが、なぜそれがいけないことなのか?お金稼げればいいのか?広告止めればそれで社会がよくなるのか?いつかはこういう事件が起こりそうだと思うゾワゾワっとした怖さがありました。
人が人を裁く難しさ
「目には目を」のハンムラビ法典がいいのか、死刑廃止がいいのか、時代を超えてずっと人類が向き合い続けている問題のひとつ。『悲嘆の門』のなかでも、罰を与えることの意味や難しさを考えさせられるシーンが何度もありました。
その人が黒であっても、法律ではすぐにどうにもならない側面とかって実際あるじゃないですか。実際ニュースみてても「えー!刑が軽くない?!」って感じたりするときのもどかしさみたいな…。もし、罪を犯した人に自分が納得できる罰を与えられたら、それは本当に正義なのか?物語の中で悪い人が私的な感情で消されてしまった瞬間、私は読みながら「悪者をやっつけた!」という爽快な気分になっていたのですが、のちのち、公明正大に犯人が裁かれなかったことによってそのほかの被害者たちが報われることがなくなるという<その後のストーリー>のあたりに「正しさ」の意味を改めて考えさせられたりもしました。
影のなかでうごめく「言葉」
宮部先生の本って、短編も読みやすくって面白いけれど、この『悲嘆の門』は長編。ここからはネタバレ嫌な人は読まないでほしいのですが、事件がいっぱい起こります。
のちに被害者になってしまうクマーの社長・山科鮎子のセリフのなかに
「書き込んだ言葉は、どんな些細な片言隻句でさえ、発信されると同時に、その人の内部にも残る。わたしが言っているのは、そういう意味。つまり<蓄積する>」
引用:『悲嘆の門』第一章砂漠のなかの一粒の砂より 宮部みゆき著 新潮社
というものがあります。ネットの人格と現実の自分は切り離されているという意見に対して真っ向から違うという彼女の理論を語っているときのセリフです。言葉の蓄積から折り重なる物語は、その人自身に影響を与えるというものです。ネットに書いた言葉がどこかのサーバーに残るように、その人の体の中にスキャンされて、その人の性格を変えていくという意味。
みんなが何となく「そうかもな」と感じはじめていることですよね。投資の話だけど藤野さんは「SNSと本物との印象が違う場合、SNSが本性で実態をフェイクとみなす」っていう内容を書いていたけれど、この小説の中で山科鮎子も、そこの人格は別物ではなく連動していると言っているのです。ここをすごくわかりやすく主人公に説明しているシーンを読みながら、私も普段自分が発する言葉は、もっと大切にしないとなと改めて気づかされました。いっつもここで軽口ばっかりたたいているけれども(;^_^A
まっすぐすぎる主人公
たぶんこの『悲嘆の門』は、映像化はできなさそうな感じす。この世界と『英雄の書』にも出てきたもう一つの世界が複雑に絡み合います。映像じゃないのに、映像を見ているかのような不思議な本でした。宮部先生の物語に出てくる男の子って、『さびしい狩人』の稔くんとか『ぼんくら』の弓之助くんとか、みんなすごく可愛くってイイコが多いじゃないですか。でも『悲嘆の門』の主人公・孝太郎くんはかなり暴走するので最後までずっとハラハラさせられます。大きなものから小さなものまで、ホントにいろんなことが起こるのですが、よく考えると私たちの人生も日々起きる出来事の積み重ねだったりしますよね。人の発する言葉もそうだし、概念とか、毎日という文字の通り日ごと起こる出来事のあれこれこそが、自分自身の人生=物語。その期間こそ、1時間であれ、一生であれ、さまざまではありますが、一つ一つを丁寧に切り取るとそこに物語が生まれるという魅力にも気づかされました。
ラストシーンがまたすごく印象的で、心配な主人公・孝太郎くんが浮気していたかもしれない素敵キャラな先輩にその真偽を問うんです。そんなこと、聞かなくっていいのに。で、けっこう素敵キャラだったその先輩は、すごく爽やかに自分のやらかしたことを認めるんですけれども、そこのシーンだけとらえればすごく小さな出来事なのですが、物語全体としてはその浮気が原因で人が一人亡くなって、一人行方不明になっちゃうんで、割とオオゴトだったりするわけで、こうして過ごしている何気ない時間も、大事な私の物語の中の一部かと思うと、おちおちワイドショーばっかりみている場合じゃないなと最近長めなお昼休みを反省したりもするのでした。
一言じゃまとめきれないロングロングなストーリーなので、感想もぜんぜんまとまらなかったんですけれど、もう少し自分もまた歳をとって、時代も変わっていった時にこの本を読みながら、今の時代と今の自分を振り返りたいと思います。そんな「現代」が凝縮されているかのような一冊です。
今回ご紹介している本は、宮部みゆき先生の『悲嘆の門』です。
ゾワゾワする小説です。文庫でも上中下の3巻というとても長いストーリーですが、一晩徹夜しかけてあっという間に読んじゃったよー!
▼宮部みゆきならこの本もおすすめ
雷門を通るたびに思い出す『蒲生邸事件』最後の切ない手紙
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