子どものころから体を動かすことが大っ嫌い!だった私ですが、大人になって時間に余裕ができるとヨガやピラティス、ホットボクシングや暗闇サイクリングなど、いきなりスポーティーな習い事に没頭しています。30歳過ぎると、人間って、変わるんだなぁと思っていたところに面白い本を見つけました。
『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』、思ってた、思ってた、思ってた…。文末の過去形が妙にリフレインしながら、今の心境と重なり、あっという間に読んでしまいました。
もくじ
女の30代は厄年だらけ。太陽を浴びて運動しなくては。
天国の本屋~恋火
著者の松久敦先生は、映画かもされた『天国の本屋』や『ラブコメ』の作者でもある有名な小説家。文系あるあるなのかもしれませんが、決してスポーツ万能な方ではなかった様子が本の冒頭で紹介されています。
10歳からはいっさいの運動を放棄、文系極まれりな生活を送り、仕事もほぼ座りっぱなしで肘から先を動かすのみ。軟弱男子だがとりあえずは若さがカバーしてくれて、「俺、虚弱体質なんですよ」とため息をつきながらも、とりあえずたまの徹夜仕事くらいはできた。
引用:001 おっさんは路上をめざすより|『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』山と渓谷社
わかる!共感ポイントしかない。この人生。私は学校の体育ですら苦痛で苦痛で仕方ありませんでした。親が高い月謝を払って通わせてくれていたスイミングスクールなんて、やっつけ仕事で、小3のころには「水泳の時間を書道に費やしたい」と、わけのわからない理論で必死に抵抗した末、念願の退会に成功。それ以降は、ひどい反抗期を家庭内のみならず、学校でも発揮し、体育の授業はサボり続けながら生きてきてしまいました。
ただ、いくら食べても太りにくい体質だったこともあり、ひょろひょろのもやしっ子ボディをキープしております。
新卒で入った会社で「運動会するから50mのタイムを取ろう」と走らされた時には、あまりの遅さで、会社のオジサンたちが、言葉を失うほど。走ってもダメだし、球技をやらせてもパッとしないし、最終的に誘導係りに任命されたのは、今でも良き思い出です。でも、そんな私でも、30歳を過ぎると、いきなりいろんな体の不調が増えてきて、「老化には勝てないな」と自覚。急にジムに通ったりしたら、意外とハマっちゃったりするから、人生って面白いですね。
松久先生は、体中のだるさや背中、腰のハリ、めまいや胃腸の不調などで、以前から「自律神経失調症」の疑いをかけられ、解決の糸口を見いだせずにいたそうです。
厄年とはよく言ったもので、40代前半には、その年に一度の恒例行事以外にも見事に心も体もずっと病んでいた。それを過ぎると、今度は人生におけるつらい試練(としか言いようがない)が襲ってきて、生きる気概すらなくしていた。
引用:001 おっさんは路上をめざすより|『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』山と渓谷社
厄年って、怖いですよね。松久先生は男性だけど、女性って、30代ほとんど厄ってるじゃないですか。実際、仕事も働き盛りを迎えて一番いい時期だというのに、結婚や出産、子育てや介護など、もう、自分の力だけではどうしようもないようなエクストリームな状況になることって結構多いですし、私も同級生とたまに会って、近況を報告し合いながらおしゃべりしたりすると、職場の人間関係や親族トラブル、離婚問題など、FBやインスタのキラキラした日記には絶対にかけないようなドロドロした話で花が咲きます。
そして、二次会ではだいたい、そこから生じた健康被害の話に及び、どこの神社の厄除が効いたという話から、病院や医者の評判に至るまで、リアルな情報が飛び交います。
何がきっかけであれ、心と体を壊す前に、みんな自分ひとりで集中できる時間を確保し、没頭できる趣味をみつけてから老後を待たないと、本当に老後になってから、夢中になれるものを見つけるってなかなか難しいのではないかと思うんですよね。
運動が嫌いというより、団体行動が苦手だった
私の場合、体育が嫌いだったというより、クラスの30数人全員でやる右向け右な、軍隊みたいな体育の授業の内容が全体的に、あまり好きではなかったのかもしれません。
さっさと終わらせたいのに、なかなか踏み切れなくて、もたつく誰かを待っていてあげられる優しさが欠如しているような人間です。気が短いので、待たされると、とにかくイライラしてしまうんですよね。
一人でいることが苦にならない。目標を立てて、黙々とそれを遂行できる。コンプリート癖、マニア癖がある。
これはすべてが小説家の資質でもある、というとなんかかっこいいが、まあ簡単に言うと、団体行動が嫌いなマニアは、意外にランニングに向いていた、ということになる。
引用:002 マニアに向いている運動|『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』山と渓谷社
私もここを読んで「あ、これだ!」と深く納得しました。“団体行動が嫌いなマニア”、です、私。マニアというか、オタクの域に入ってきていますけれど、キャラクターにしても調理家電にしても、好きなものにハマっていられる。
どうやっても憧れることなんてできなかった体育の先生たちと違って、都内のジムのインストラクターはみんなカッコよかった。私がスポーツジムに機嫌よく通えた理由はまだって、少人数・個別レッスンのスタジオが多かったし、お客さまとして迎えられている以上、無駄な待ち時間もなく、快適な場所で汗を流し、シャワーを浴びて帰れるという快適さもあったからだと思います。運動が嫌いだったんじゃなくって、団体行動が嫌いだったんだ!
お気に入りのアイテムをゲットすると、更にやる気が高まる
運動をしたことがなかったので、自分にはずっと縁がないと思っていたが、私は密かにずっと、イチローのサングラス姿に憧れていた。
引用:002 マニアに向いている運動|『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』山と渓谷社
先に買ったサングラスもオレンジと黒。すなわりジャイアンツカラー。
理由を話すと長くなるので省略するが、私はスワローズファンクラブに入っているけれど、子供のころはジャイアンツが好きだった。そして16年に引退してしまったが、ジャイアンツで登場したらいちばん「あがる」のは、代走のスペシャリスト鈴木尚広。
引用:003 雨雲レーダーを追え|『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』山と渓谷社
というわけで、イチロー風のサングラスと鈴木尚広スタイルで走ることが生活の一部となった松久先生の故障と復活の歴史が中盤の目玉になってくるのですが、この、憧れのスタイルで運動をしている自分って、運動をしてこなかった文系にとっては、一番ときめく瞬間です。私も、ホットヨガスタジオにいくために、初めて、高島屋のスポーツウエアで、一式ウエアをそろえたときには不安と希望が入り混じる、不思議な気持ちになったことを思い出しました。つい、半年前の話ですけれども。
継続は力になる!趣味が仕事になるまで
こうしてあらゆる道を走るために、地図やGPSを装備し、電車や新幹線にのって、都内のみならず、地方のマラソン大会に出るまでになられた松久先生。すごいのは、どこで、どういうタイミングで、どうケガしたかを細かく書いているところ。
どうしたら早く走れるか、タイムが伸びるか、という点にフォーカスしないなんて、斬新な切り口だなぁと思っていたのですが、そこには意外な経緯が。
このエッセイはなんと、24話まで仕事としてではなくご自身の楽しみで書いていたというから、もういろいろびっくりΣ(・ω・ノ)ノ!。
売込みもしないで、コツコツ書溜めていたってすごすぎる。ふと編集者の先輩に原稿をよんでもらった伝手でターザンでの連載になったのだそうです。
猫ひろしさんとの対談があったり、マラソン大会のテレビでは放送されないリアルな参加者目線の体験談がもりだくさんで、マラソンしたことない私でも、走ってみようかなと思うようなおもしろい一冊でした。
今回ご紹介した本は<走る奴なんて馬鹿だと思ってた>です。
自虐あり、笑いあり、マジメな提案ありの、サクサク読めるエッセイです。“遅いけど頑張るおじさんランナー”だけでなく、厄ってる30代女性の背中も押してくれる本でした。私も走ろっかなって、真面目に思ってます。
▼この本の編集は松久先生なんだよ
働く楽しさを再発見できる!みうらじゅん氏の「ない仕事」の作り方ほかにも<本を読まなきゃ / BOOK>では、ビジネス書から小説、脚本まで幅広く様々なジャンルをご紹介しています。私の読書感想メモ!おもしろい本ばかり。
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